「緊縛シンポジウム」における「ミニ講義」についての謝罪および内容の訂正

2020年10月24日に開催されたシンポジウム「緊縛ニューウェーブ×アジア人文学」における「緊縛入門ミニ講義」と題されたコーナーでの、以下で述べる我々の落ち度・誤りについて、謹んでお詫び申し上げます。

  1. マスター”K”著 山本規雄訳『緊縛の文化史 The Beauty of Kinbaku』をベースとした発表であったにもかかわらず、そのことに言及することを完全に失念しておりました。(なお、その『緊縛の文化史』の読み方自体も誤っておりました。「緊縛は捕縄術を起源とし、文化に取り入れられ、SMブームを経ている(そして現在芸術化されている)」というストーリーを『緊縛の文化史』に読み込んでしまっておりましたが、『緊縛の文化史』ではそもそも捕縄術が起源であるということすら断定はされておりません。「緊縛の芸術性に注目する」というシンポジウムの内容に合うようなストーリーを欲した結果、本を誤読してしまいました。)
  2. また、「ミニ講義で述べる内容(『緊縛の文化史』の内容)が正しい『緊縛の歴史』である」というよりむしろ、「緊縛の実践をする人々の中では、ミニ講義で述べる内容(『緊縛の文化史』の内容)が『緊縛の歴史』として考えられているそうだ」ということが発表の本来の意図であったにもかかわらず、その点への言及すらも欠落し、さらには断言調で語ってしまいまいた。その結果、事実とは異なる歴史を、あたかも正しい緊縛史であるかのように流布してしまいました。
    • (なお、「緊縛の実践をする人々の中では、『緊縛の文化史』の内容が『緊縛の歴史』として考えられているそうだ」と我々がみなしていた理由は、『緊縛の文化史』は緊縛の実践家の間では教科書的に広く読まれていると我々が認識していたためでした。ですが、後日河原梓水さま(福岡女子大学講師、近現代セクシュアリティ・BDSM研究者)が教えてくださったのですが、『緊縛の文化史』をそのように扱い読んでいるコミュニティはかなり限定されるだろうとのことです。そのため、「緊縛の実践をする人々の中では『緊縛の文化史』の内容が『緊縛の歴史』として考えられているそうだ」という認識自体が誤っておりました。なお、我々が「緊縛の実践をする人々の中では『緊縛の文化史』の内容が『緊縛の歴史』として考えられているそうだ」という認識を持っていた理由は、藤の周囲では『緊縛の文化史』がそのように扱われていたからでした。日本倫理学会で河原さまがおっしゃっていたよう、一つのケースだけを見るのではなく、複数のコミュニティでどのように扱われているかを確認していれば防げる問題でした。)
  3. 「緊縛にはSM的な要素だけがあるわけではない」ということを主張・強調したいがために、緊縛のSM的要素を軽視・蔑視し、緊縛の芸術的要素を称揚するようにも見える説明をしてしまいました。少なくとも我々自身に「SM的要素よりも芸術的要素の方が上である」という認識があったわけではありませんでしたが、そのように容易に受け取られうる説明をすることで、そのような考えを助長させる危険性が十分にありました。

これらにより、緊縛の実践家の方々やマスターK氏をはじめとして、緊縛に興味のある方々やSMに関わる方々にも多大なご迷惑をおかけしましたこと、慙愧の至りでございます。我々がこのような落ち度や誤りが多い発表をしてしまった理由は、「緊縛についての知識や理解が十分ではないならば、緊縛についてまともな考察や議論はできない」という当たり前のことを失念し、緊縛の魅力に浮かれ独りよがりに考察や議論をしようとしてしまったところにあります。今後考察や議論をする際は、しっかりと勉強をして知識や理解を涵養した上で行っていきます。誠に申し訳ございませんでした。

以下では、ミニ講義で述べられた内容(我々が「実践家の中で『緊縛の歴史』と考えられているストーリー」と誤認していたストーリー)がどれほど現段階で判明している緊縛についての歴史的事実と異なっているのかを述べさせていただきます。
これにより、2で挙げた「事実とは異なる歴史を、あたかも正しい緊縛史であるかのように流布してしまった」という問題を、少しでも解消できればと思っております。

なお以下の内容は、河原梓水さまの了承のもと、彼女のnote([1][2][3])を元にしております。また、以下の内容が正しいかどうかは、彼女に確認をしていただきました。この点に関しましても、河原さまには、この場をお借りして深く感謝申し上げます。なお2021年度の日本倫理学会WSにおいても、河原さまから本発表の誤りを指摘していただいております。彼女の当該発表は、2022年3月刊行予定の『臨床哲学ニューズレター』vol.4にも掲載予定だそうです。そちらも合わせてご確認いただけばと思います。

第一に、ミニ講義では「緊縛の起源は捕縄術にある」というストーリーを紹介しましたが、このストーリーがそもそも誤りである可能性が高いそうです。

  • 河原さまによる傍証1:「古流捕縄術の復元に取り組まれた水越ひろ氏は、SMにおける緊縛と捕縄術の関係をかなりきっぱりと否定している([2])。(なお、水越氏の本は我々も確認していたにも関わらず、当該の記述を見落としておりました。)
  • 河原さまによる傍証2:「歴史学的な手続きでいえば、捕縄術が現代緊縛の起源だと主張する場合、エロティックな意味での緊縛が開始される第二次世界大戦後の変態雑誌誌上に、捕縄に学んだとの言及がみられなければなりません。しかし私の知る限り、捕縄に言及する記事はそれほど多くなく、また、「女性を縛るには(捕縄は)美しくないので向いていない」といった言及すらあります([1])」。「日本において、限られた人々による、サドマゾヒスティックな性の遊戯、および緊縛が資料に現れるのは、ほぼ第二次世界大戦後 ([2])」であり、「緊縛文化が戦後に芽生える、ということを踏まえれば、緊縛の起源を考える上でまず検討されるべきは捕縄術ではなく、戦争の影響 ([2])」と考えられるそうです。

第二に、ミニ講義では「戦後、SM雑誌やSMブームを経由することによって、(それまではそうではなかったが、)緊縛はSMの一部とみなされるようになった」と紹介しましたが、これは「当時の史料の記述と全く整合しない見解 ([3])」だそうです。

  • 「SM雑誌として、緊縛にフォーカスした雑誌として発表内で紹介した『奇譚クラブ』は、当時SM専門誌でも、緊縛専門誌でもなく、これらの多種多様な欲望が入り混じった総合雑誌でした ([3])」。
  • 「当時 [(= 「SMという概念がいまだ成立も一般に普及もしていない、1950年代の日本 ([2])」)]、緊縛は明確に「サディズム」=加虐という言葉と結びついていました ([3])」。
  • 「緊縛愛好者は猟奇殺人犯の仲間か、精神疾患を抱えた異常者、少なくとも女性を虐待する暴力的なクズ男だというのが、1950年代の多数派の見方でした ([3])」。
  • 「このような社会からの厳しい偏見にさらされたこともあり、緊縛愛好家や、サディストを自認する人びとは、雑誌『奇譚クラブ』を通じて、自分たちは猟奇殺人犯とは違うということを主張し、縛る者と縛られる者との対等性、同意、愛情などの精神的側面、そして安全性などの論点を深めていきます ([3])」。

つまり、「戦後、緊縛は暴力や猟奇と結び付けられていたが、村上信彦氏をはじめとする人々が雑誌を通じてSMの脱病理化が推し進められていった」というものが実情に合っていたと考えられるそうです(村上氏についても河原さまに教えていただきました)。なお、ここで言う「雑誌」は、ミニ講義では「SM雑誌」と紹介しましたが、SM専門誌というわけではない総合雑誌とのことです。この点についてもミニ講義の内容に誤りがありました。また、そもそも「戦後(すぐに)SMブームが起こった」という点も誤りでありました(この点については下で訂正させていただきます)。

以上がミニ講義で紹介したストーリーの本筋と関わる誤りになります。以下では、本筋とはあまり関係がない誤りについて記載させていただきます(こちらも、河原さまがnote([3])にて訂正してくださっております)。

  1. 伊藤晴雨の作品に関して:ある写真(ミニ講義では「責め絵の女」と呼んでいました)を伊藤晴雨の作品として紹介しましたが、これは「晴雨が所持していた写真であって、晴雨自身が写真の撮影に関わっていたのかは判明していません ([3])」とのことです。また、「責め絵の女」というタイトルは当該写真のみを指すものではなく、当該写真「も含めた晴雨関係の写真をおさめている書籍のタイトル(『伊藤晴雨写真帖—責め絵の女』新潮社、1996)([3])」のことだそうです。
  2. 戦後の「SM雑誌」の動向について:上述のよう、「戦後すぐにSMブームが起こった」かのようにミニ講義では紹介しておりましたが、そうではありませんでした。第一に、SMブームとは、1970年11月の雑誌『SMセレクト』の創刊から始まるとされるそうです(河原さまのnoteでも「SM雑誌ブームとは通常1970年頃からの、大量のSM雑誌の創刊を指します([3])」とあります)。第二に、「戦後すぐ」にあたるような時期においては、SM系雑誌はむしろ迫害を受けていた実情があったそうです(この二点についても、河原さまから教えていただきました)。

なお、以上の内容については、後日英文でも掲載する予定です。
この度は多くの方々に多大なご迷惑をおかけしまして、誠に申し訳ございませんでした。重ねてお詫び申し上げます。

2021年12月29日
山森真衣子
藤峰子

  • [1] 河原梓水 (2020), 「京大・緊縛シンポの研究不正と学術的問題を告発します①ことの始まり」, https://note.com/azumi_xx/n/n82840bce3002 (最終閲覧日2021年12月25日)
  • [2] 河原梓水 (2020), 「京大・緊縛シンポの研究不正と学術的問題を告発します②剽窃について」, https://note.com/azumi_xx/n/n10bc844cd7bd (最終閲覧日2021年12月25日)
  • [3] 河原梓水 (2020), 「京大・緊縛シンポの研究不正と学術的問題を告発します③ F氏報告パート:緊縛の戦後展開について」, https://note.com/azumi_xx/n/ncbbff6a249ad (最終閲覧日2021年12月25日)

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